話し合って決めようよという人、会議好きな人の本意は・・・

話し合って決めようよという人、会議好きな人の本意は・・・

私は、正社員で働いているのだが、いつも困ることがある。

チームワークが大事

よくわかるし、心がけている。

社内の中でも好き嫌いはあるし、人間ができてないのでイラッとすることもある。

仕事をやっている以上、できるだけ意見を聞いて平均的に仕事を進めたいと思っている。

立場上、公平を心がけたいと常々思っている。

 

その中で、新しいことや決定事項から真っ向から立ち向かってくる人がいる。

何もやってもいないのに、揚げ足を取り、失敗したら・・・と思うのか文句ばかりを言う人がいる。

とりあえず、文句を言わずやってみろ!

最善を尽くしてから、文句を言え!

と心の中で叫んでいるのだが、大人の私は言わない。

 

決まったことは、従わないといけないし、改善点があれば徐々に変えていっていいものを作り上げたいと思っている。

なのに、やりもせず不満点ばかりを上げ、勝手に不安になるようだ。

なら、目の前のある仕事をできるだけしっかりと進めれば良いのにと思う。

 

じゃ、具体的にどうしたいの?と聞くと

「会議しましょう。話し合いましょう。」と言って逃げる。

何かをしたい、変えたいと思ったら、なんとなくでもいいから具体的に

いつ、どこで、どれくらいでどんなことができ、どれくらいの間で成果を挙げれるかをいわないと、プランはまず通らない。

 

会議をしたり、話し合いで収まるなら、この世はすべてうまくいくのか?

戦争や離婚や訴訟や、いじめ問題や引きこもりもいなくなると言うのか?

いつも不思議に思う。

 

話し合いでうまくいって、不登校が直ったとも思わないし、

亀裂が入った夫婦が改善して離婚をやめた、と言う話も聞いたことがない。

人の行動なんだから、感情があるし、正解も不正解もない。

絶対もなければ、完璧なことは何もない。

 

では話し合いをしようよ!という人の心理はどういったものか?

日本の教育が、話し合いで決めましょうと言う道徳を美徳にして世間がまかり通っている。

学校でのクラスの決め事などはこれでいいかもしれない。

だけど、昔から思っていたことだが、会議しようと言う人は自分の意見をいわない。

会議で個別に聞いても、当たり障りのないことばかりいい、改善もうまくできない。

アイデアも、ありがちな誰でも思いつくようなことばかりで、ほかの人が言ってました、などと逃げ腰になる。といつも思う。

 

話し合いなんているのか?

何か変わるのか? 会議ではなく報告会になっているといつも思う。

 

職場だけでなく、学校やPTAや地域の集まりで何か決定する時、

「みんなの意見を出し合って・・・」と

いい子ちゃんはいう。(昔からいつも学校で教わったとおりだねと思っていた)

否定的な意見を持っている人は、そういう言い方をする。

過去の経験から『否定したいけど、見方がほしいし、多数決なら仕方ないいやだけど折れるわ』言うのが本心だと思う。

 

本気で変えたければ、決まったことをやって、しっかりとしたデータを取って、

報告書と改善点のレポートを書かないと一度決まったことを覆すことはないと思う。

 

仕事で「話し合って決めるチームがほぼ失敗する理由」と言う記事がある

(東洋経済オンライン 2019年4月24日 話し合って決めるチームがほぼ失敗する理由 参照)

記事によると、仕事に寄る決定事項には、「独裁」「多数決」「合議」があるらしい。

どれもメリットデメリットがあるが、チームのリーダーとして大事なのは、「スピード」と「決断力」らしい。

その上でチームを作ることは「意思決定そのものよりも、意思決定後に選んだ手をどれくらい着実に実行をし、正確にできるかどうかが重要」らしいです。

独裁による意思決定を成功させるのは、そのチームメンバーの理解と決定事項をいかに正確に実行をできるかが重要らしい。

 

リーダーとなる必要はないのだが、決定事項はできるだけ守り、工夫して改善できることは改善し、目標としている状態に結果をだしたいと思う。

サラリーマンである以上、意見があるなら立ち向かうのではなく、改善点で対応するしかない、それがいやなら、残念ながら退職するしか方法はない。